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サンライズ瀬戸の内海 ~そのⅡ ~

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 この旅の目的は、高校の旧友に会うこと、 二十歳前後にお世話になった 旧友の従兄さんに会うこと、うどんを食べること、飛び込みで歌うこと、離島に行くこと、鹿の角を持って帰ること、だった。  高松ステーションで旧友の姿を探そうと、記憶の糸をたぐる必要もなかった。一瞥で判った。二〇年近く会っていないが、露ほどの違和感もない。おっ、ひさしぶり、と軽く片手をあげて、それで再会の場面終了。車に同乗して、さっそくご当地B級グルメへと走り出す。  近況のビッグニュースから話す。彼は一般的な驚きを示すものの、悲しむことも喜ぶこともない。むしろ笑うしかない。それが楽でいい。  夜更けまで懐かしいことを話していると簡単に朝が来てしまう。自分は、真面目に右往左往して、哲学し続けてきた彼の真摯な姿に感慨を覚える。今は香川で木こりをしている。ああ、森を彷徨ってやりたい人生やってるな、と他人の芝を青く思ったりする。  案内されたうどん屋のいずれも、カフェ(廃校カフェや廃院カフェ)も、コシのあるコンセプトが詰まっていておもしろかった。  さらに香川では演奏場所二か所と、従兄さんのクラシックギター(ホセ・アントニオ)が用意されていた。この二か所とも、すでに世界ができあがっている魅力的な空間だった。あとは、自分らしく歌うだけでよい。  知り合った演者方々にも、大いに笑かしてもらったり、静かに癒されたり。  地元スーパー『マルナカ』の店内ソングをピュアに歌う人。  ジャグバンドといえるが、チンドン屋といえばチンドン屋にも見える一座。 (座長に、オモシかった? と尋ねられて、オモシいです、と答える。その音楽性に、特質すべきオモシさがある)  また、ギターインストの雰囲気は、空気と一体化して、流れをつくっていた。これらの世界感は、香る川があればこそ、と思う。  もうひとつ、香川が世界に誇るものがため池の多さ。コンビニより、ため池が多い。なにも知らずに、帰りのドライヴで思わず、この辺、ため池多くね? と何度も尋ねてしまうほど、キングオブため池、香川。密度はもちろん日本一。 カフェ『カンパーニュ』 カフェ『カンパーニュ』 カフェ『カンパーニュ』 カフェ『カンパーニュ』 廃院カフェ 廃校カフェ 徳島 ...

サンライズ瀬戸の内海 ~そのⅠ~

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   旧友を訪ねて四国・香川へ。寝台特急サンライズ瀬戸。なかなか乗れない人気車両らしい。横浜を二二時過ぎに出て、寝て起きればもう、七時半に高松だという。到着初日からどっぷりに瀬戸内海に浸れる。離島行のフェリー始発便にも乗れる。  と意気込んでぐっすり眠ろうとしたが、列車で横になると、意外に音と振動とアドレナリンで眠りにつけない。それはそれとして、個室だからとホテル気分で油断していたが、窓カーテン全開のまま、停車駅のホームからは丸見えなことに気づかずにアンダーウェアのみで、少なくとも二、三駅は過ごした。  そうこうして、うつらうつらする途中、京都あたりの事故で遅れてる、ようなことを言っていた気がする。そんなこともあるのですか、と思いながら、半分夢の中で岡山で出雲行と切り離し、瀬戸大橋へ。到着は一時間遅れ、予定は狂ったが、気分は晴れやか。悪くない。   高松からフェリーで離島へ。選んだ島は、男木島という人口200人足らずの島。  まず車がいりません。集落に車道がありません。移動手段はモッパラ徒歩。  それもあってか、とにかく、瀬戸内海が静かです。穏やかな内海はたしかに、宝石のように美しい。そこでのconversationは、猫が数十匹と、ランチをいただいたカフェの方のみ。静かなせいか、路地を歩くと至るところから、 猫型住人の 呼び声がする。ニャオ。(チャオと答える)  カフェ『ドリマの上』でいただいた島の食材は、どれも素朴な発見に満ちている。女性にはキャーキャー喜ばれるが男性の方の感想はなかなか伺えないので、とコメントを所望されたが、十分、満たされてます、としか言いようがない。  築100年以上の古民家は、二階が宿泊施設になっているという。  これで登るんです、と案内された樹のハシゴ(なんの樹だったかしら)を「まじか」と思いながら登る。すごいですね、と言われて、なんかおかしい、と気づけばいいのに、これは高齢者や女性にはキツくないですか、と真顔で問うてしまった。キツいです、もしよろしければ下りは階段からどうぞ、と奥の階段を提示いただく。デスよねぇ。  わずか半日でも居心地がいい。灯台もノスタルじい。波だった心が穏やかになる。今度はしばらく滞在してもいい。  高松港では、高校の同級生で二〇年弱ぶりに会う旧友が待っている。思えば、寝台席も偶然のキャ...

片道切符 ~Tom Petty~

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 その日、なんの胸騒ぎもないまま、通勤電車の中で、イヤホンから彼のSONGが流れていまし た。1 0月2日、やはりときどき神様は、なにかの順序を間違えて、切符を切ることがあるようです。Tom Pettyが銀河を渡る鉄道に乗っていったそうです。  予め、病人のような目つきだった彼ですが、ぼくには、いつも果てしなくワイルドな気分にいざなってくれる存在です。  たぶん、好きな声ではないのに、たぶん、好き な風貌でもないのに(とくに若いころの目ときたら…)、たぶん、出会い方を間違えたら、むしろ嫌悪感を覚えていたかもしれないのに。  どうしたものか。どこか惹かれるソングライティング感と、ルーズ感と、そしてバンドの強烈な一体感。  いつか、弦楽器をギーギー鳴らして、歌いたかった歌があります。かなり落ち込んだときでも、まぁ、生きてれば、いっか、と思わせてくれる歌。  厳かにリスペクトを込めて。

ファンタジスタ

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 久しぶりの休みで、気づけばもう、ひまわりが夏らしく、南を向いて咲いていた。(夜の水やりのときしか見てなかったから驚いた)。  一方、玄関の前で、メジロが一羽。美しく、息を引き取っていた。  暑さのせいなのか。  誰に聞いて、ここまで来たの?  こんなに美しいまま  どこからきて、  どこへいったの?  そうして、みんな、どこへいったの?  と思っていると、懐かしい友人から電話あり。もうじき合宿を終えるとのこと。鹿島アントラーズの練習に参加することになったらしい。そのときマンUが彼を狙って偵察にくるらしい。噂の噂が広がってるらしい。とか、ぼくは聴きながら、嘘?とも本当?とも言わない。思わない。  彼は、たまたま公園でフッチボールを蹴っていたときに出会った友人だが、E学園では関東選抜(本人談)で、視界の先に見据えていたのは世界基準だったらしい。  それを真に受けた人が周りに何人いたが知らなかったが、ゲームをしたときに見せた一本のダイレクトプレイから、特筆すべき想像力(イマジネーション)が、はっきりと感じられた。  このところは幻聴がひど過ぎるので、一緒に球蹴りはできないらしい。  プレイヤーは年齢的に限界でないかい?と尋ねると、 「限界からが出発点だ」と思っている、という。  やるな。  野暮なこと訊いたよ。  それでこそ、ファンタジスタだ。  合宿先は、山奥の病院。  ぼくは、いつまでも公園で待っていよう。  彼のプレイのファンの一人として。

If I Have To Go ~Tom Waits~

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 Tom Waitsを聴き ながら、ただただ雨に泪するようになった。こうやって少しずつ、ロートルになってくんだろなぁ、と思う。  今度、日本語で歌ってみようかと、しみじみ、しみじみ、言葉を味わってみる。  いんやぁ、やっぱりアメリカンだなぁ、この人の歌は、と改めて感じる。 If I have to go will you remember me will you find someone else while I'm away there's nothing for me in this world full of strangers it's all someone else's idea I don't belong here and you can't go with me you'll only slow me down until I send for you don't wear your hair that way if you cannot be true I'll understand tell all the others you'll hold in your arms that I said I'd come back for you I'll leave my jacket to keep you warm that's all that I can do if I have to go will you remember me will you find someone else while I'm away もしもあすには、 もう会えないとしても 君には僕が、見えるかな 知らない間に 知らない誰かを 見つけてしまうのかな 後ろ髪を 束ねて 待っていてくれるかな 手紙が着くまで、 そのままでいてほしい 髪形も 昔のままで 君が正直になんて なれやしないと 分かってるから 君のために jacketを あたためおくよ もしもあすには、 もういないとしても 君には僕が、見えるかな

猫の手

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 遅く起きた週末。ブナ(猫)は定時の起床時間から何度も頬に手をおいてくる。朝だよ 。遅刻するよ。丁寧 に、爪が当たらないように。ピト、っと。 (それでも4回に1回、意図はなくとも爪が唇に引っかかって痛い)    不思議な明け方だった。  海岸通りは、太陽を出迎える前の、少し緊張した面持ち。4時のジョギングに目覚ましをセットしたくせに、体がダル過ぎて起き上がれなかった未明。普段なら熟睡している時分から、彼はずっと、ぼくの顔に手を置く動作を繰り返し続けた。起きるんじゃなかったのか、と。 (終いには妙に痛いと思ったら、鼻を噛んでいた)  もう、いいんだよ。もう、いいんだ。ありがとう。  と伝えると、納得したように布団に潜り込んでまた眠り始める。  今はお前を通してしか語られないぬくもりがある。  お前を通してしか触れられないやさしさがある  それは、お前を救いあげた誰かの、やさしさと、手のぬくもりだと思う。

アレロパシー with シンパシー

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 気合を入れて、隣地の草取りを断行。虫の種類の多いこと多いこと。毛虫やら幼虫やら。いったいどんな羽ばたく姿になるんだろうか、と虫かごで飼ってみたが土と同化してしまった。野生は思い通りにはならない。草木もそう。うまく育たない。ここいらは今年も背高泡立ち草の勢力が強い。昔はひどく腹立たしい外来種だと感じたが、次の話を聞いてから というもの、なんだか他人事でない、切ないシンパシーを感じる。 「アレロパシーを有し、根から周囲の植物の成長を抑制する化学物質を出すが、この物質はやがて自身の成長も抑制していく。つまり自らの分泌物をもって、自らを滅ぼしゆく」という。  メダカが次々に孵化して困り始めている。空き瓶が足りない。  優生選別ではないと自分に言い聞かせながら、背びれの曲がった子を安全なみずかめに移す。  アジサイさんも、そろそろ株分けしようかしら。

七時雨

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 七時雨山。八幡平市の東方。一日に七回も時雨れることからそう呼ばれたらしい。  たしかに霧は光っているし、風は早い。向かい合う田代山に囲まれた広大な田代平高原は、牛の放牧や牧草つくりのほか高原野菜の栽培などもしており、牧歌的な雰囲気が漂う。  ここで開催されるクレイジーなレース(トレイルランニング)の実行委員長を兄が勤めている。そしてこのレースに全国から300人も参加するという。  その300人の変態に交ざって走ってきた。  結果は、33キロ7時間半の制限時間に対し、7時間2分(262位)。時速4.7キロ程度だから、つまり、ほぼ、走っていない。おそらく33キロ中、5キロくらいしか走っていない。走る練習はそれなりにしたのに。  スタート直後。300人の変態行列がヌカるんだ山を登る。一人が通れるほどの道幅。追い越せないし、後続にも道を譲りにくい。 山の葉脈に運ばれるような意思とは無関係のペースと、 放屁できないプレッシャーに疲労する。  そしてまた雨が降る。そこかしこで滑っているのだろう。上から下から絶叫マシーンのような雄たけびが聞こえる。ちなみに自分は、荒げる声を持っていないので、滑るのに堪えて黙々と筋肉をすり減らした。これがいけなかった。想像以上に大腿直筋がやられてしまい、10キロ過ぎあたりから既に膝から腿にかけて、プルプル痙攣していた。  最 高地点。七時雨の山頂は寒いし、腹も減るし、 いよいよ膝も笑い始めて、 いろいろ思い出して気を紛らそうとしたら、異常に感情的になってしまって、表情も泣いたり笑ったり繰り返した。やがて、足首、肩に次いでなぜか前腕部の筋肉も上がらなくなってきた。あと一回、登りか下りかあったらもう無理だな、と思ったときから、何度か、目を閉じて無になることに努めた。  気付けば、あれほどいた変態ランナーはあたりに見当たらず、ロードマラソン大会では経験できないような一人旅。コース合ってるよね、って幾度か呟きながら、口さみしさからか、携帯していた食糧は食べ尽くしていた。 リタイヤしても誰も運んではくれないし。目標はゴール、というより、ただ、帰りたい、その一心で足を持ち上げる。  やっと人間の感性を忘れかけた第3エイドあたり「がんばって!」とスタッフに励まされ、慌てて正気を取り戻す。気持ちは一歩二歩走ろうとするも、まるでヒゲダン...

隠岐の島にて  ~そのⅡ~

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 ほんとは出雲方面に行きたいだけだった。  年度末にぽっかり空いた三連休だったので、慌ててクリックしたのがいけなかった。  写真を見ながら湖畔のホテルを予約したつもりが、湖畔じゃなくて海辺のホテルだった。  しかも島だった。  隠岐の島。  え、どこそれ。  陸続きではなかった。  すでに発生済みだったキャンセル料に反骨心を燃やして、海を渡ることにした。  しかし悪天候の天気予報だが。  フェリーが出なかったら結局、最悪の当日キャンセルだが。           空は晴れていた。青かった。  これまで降り立ったどの離島とも、趣きのまた違う海景色が目前に迫っていた。  八百万神さまたちが叫んでいた。  なにをしに、お前はここに来たんだと。  ごめんなさい、とばかり呟いて  手を合わせていた。  いつかここに戻ってこれたら。  いつの日か、ここに。  書き残したページを綴りに。 隠岐の島にて 隠岐の島にて 隠岐の島にて 海をみつめる馬 隠岐の島にて 須佐神社 稲佐の浜(弁天島)にて手を合わす夫婦 隠岐の島にて

隠岐の島にて

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  彼は振り向かずに海原の向こうへ走っていった   ぼくにはもうどうしても   泣いているようにしか見えなかった.   泪ながしてもながしても   溢れない西海   すがっても追いすがっても   沈みゆく追憶   もう   魂の底から   自分を肯定することはないだろう、と   最後の欠片を海へ投げ入れる   それを失くした人に   歌など歌えるはずないのに 隠岐の島にて ~西の海を見つめる馬~