七時雨
七時雨山。八幡平市の東方。一日に七回も時雨れることからそう呼ばれたらしい。
たしかに霧は光っているし、風は早い。向かい合う田代山に囲まれた広大な田代平高原は、牛の放牧や牧草つくりのほか高原野菜の栽培などもしており、牧歌的な雰囲気が漂う。
ここで開催されるクレイジーなレース(トレイルランニング)の実行委員長を兄が勤めている。そしてこのレースに全国から300人も参加するという。
その300人の変態に交ざって走ってきた。
結果は、33キロ7時間半の制限時間に対し、7時間2分(262位)。時速4.7キロ程度だから、つまり、ほぼ、走っていない。おそらく33キロ中、5キロくらいしか走っていない。走る練習はそれなりにしたのに。
スタート直後。300人の変態行列がヌカるんだ山を登る。一人が通れるほどの道幅。追い越せないし、後続にも道を譲りにくい。山の葉脈に運ばれるような意思とは無関係のペースと、放屁できないプレッシャーに疲労する。
そしてまた雨が降る。そこかしこで滑っているのだろう。上から下から絶叫マシーンのような雄たけびが聞こえる。ちなみに自分は、荒げる声を持っていないので、滑るのに堪えて黙々と筋肉をすり減らした。これがいけなかった。想像以上に大腿直筋がやられてしまい、10キロ過ぎあたりから既に膝から腿にかけて、プルプル痙攣していた。
最高地点。七時雨の山頂は寒いし、腹も減るし、いよいよ膝も笑い始めて、いろいろ思い出して気を紛らそうとしたら、異常に感情的になってしまって、表情も泣いたり笑ったり繰り返した。やがて、足首、肩に次いでなぜか前腕部の筋肉も上がらなくなってきた。あと一回、登りか下りかあったらもう無理だな、と思ったときから、何度か、目を閉じて無になることに努めた。
気付けば、あれほどいた変態ランナーはあたりに見当たらず、ロードマラソン大会では経験できないような一人旅。コース合ってるよね、って幾度か呟きながら、口さみしさからか、携帯していた食糧は食べ尽くしていた。リタイヤしても誰も運んではくれないし。目標はゴール、というより、ただ、帰りたい、その一心で足を持ち上げる。
やっと人間の感性を忘れかけた第3エイドあたり「がんばって!」とスタッフに励まされ、慌てて正気を取り戻す。気持ちは一歩二歩走ろうとするも、まるでヒゲダンスにしかならない。追い打ちをかけるように、ナイスラン!と善意の塊の応援をいただくのが、なおのこと、痛い!
結局、最後の最後までハイには至らなかった。
来年は、と尋ねられたら、悲壮感フォトランキングがあれば是非、と答えるかな。
兄にいろいろとお世話になった。大会実行委員長だったとはレースの開会式ではじめて知った。
帰りの新幹線に乗り遅れまいと兄の運転で沼宮内駅に向かって走る。林道を抜ける風を追い越してひた走る。切羽詰まった状態を脱したとホッとひと一息着いたのも束の間、優しいサイレンを鳴らしたパトカーがついてきて、路肩に止まれと促す。
頭を垂れる。万事休すか。
平静を装って「どうかしましたか?」と言おうと待ち構えていると、「なんかあったすかあ?」と予想外の尋問を受けて、返答に窮する。危うく、それはこっちのセリフだよ、と突っ込みをいれる様子が頭を掠める。
「なんかあったすかあ? えらく急いでたみたいだっぺ」
「あ、まあ、三十一分の新幹線に間に合うように、急いだと言えば急いでたかな」
「三十一分? 沼宮内? だいじょぶだべぇ、普通にえって間に合うからあ、ところで一言、怒らせてもらっていい?」
大会実行委員長が、切符、切られないでよかった。
なんとか駅に間に合ってから、足が階段をあがれないことに気づきEVを探す。3F改札にて予約切符を発行する。欲をかいてお土産を買いに2Fに戻る。すかさず3Fに戻ろうとするもEVは1Fへ落ちていく。(無情にも)
渾身の力を込めて、階段を駆け上がる。うぉー、と叫ぶ。改札からホームは、どっち、また上ですか。EVは間に合わない。発車のアナウンスが聞こえている。
あがれ! カラダあがれ!と叫ぶ。
人間、やればできる、と思った。
出発前、先輩から持っていくフードについてアドバイスがあった。
「絶対、カップラーメン持っていったら、うまいよぉ。頂上で食べるカップラーメン、うまいよぉ。」
としみじみ言ってくれて、そうかなあ、と思っていたが、ガスバーナー持って優雅にくつろぐ雰囲気じゃない、と参加して痛感した。
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