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月に問ふ部屋

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   横須賀中央駅と汐入駅間の山の上、セントラルホテル脇のトンネル上の世界に「問室」という、すこし時の流れ方がゆるやかな明治の古民家空間があります。そこには行ってみて初めて体感できる場のトポスがあります。  チェロ弾きの安藤さんに初めてこの空間を案内してもらったとき、「 今日はなしに此処へ?」と書かれたウェルカムボードの前で、先人から問いかけられた気がしてドキンとしました。  そして古民家リフォームのセンスに感嘆符でした。(昨近、めずらしくない古民家リノベーションのなかでも、細部にまでこだわって作ってる、作ってるといっても、こだわって引き算しているセンスに乾杯!)  ここでなにか催しできないかな、というお話に真っ先に浮かんだイメージは、日本語の語感を味わう詩会。  縁側越しの庭に、横須賀の街を見下ろす一本松が立っています。  ふと、その枝先に目をやると、 飛来する冬の鳥と目が合って驚きます。  目線が近い!  たとえば月のとなりの縁側で、詩を一篇、声にしてみれば、日本語がいつもより、心に近いところで聞こえるような気がします。  イベントタイトルは「月に問ふ部屋」  :明治、大正、昭和、平成、令和   この縁側に腰を下ろして、おなじ遠い月を眺めてきた人影たちは   それぞれの不条理になにを想ってきただろう   ただ黙したまま、人の営みを見続けてきた月に、そんなことを問いかけにいきたい  当日は、チェリストの安藤葉月さん。  絵画展示と朗読、塩路明子さん。  そして朗読、佐原大樹さん。舞踊と映像制作、みうらとしるさん。  「月に問う部屋」開扉します。    無事、玄関から溢れ出る靴を誰も取り違えることなく、盛況のうち終えることができました。共演の皆さま、問室の皆さま、そしてご来場の皆さま、心よりありがとうございました。  おかげさまで、こんなことができたら、とイメージした空間で、イメージをとび越えた催しとなりました。  ひとつは全盲の佐原さんに朗読をお願いした場面。  想像してみて、というImagineの訳詩を語り始めたあたりから、別次元の出来事でありました。    たとえば、佐原さんの世界は、僕には見えない。佐原さんも、僕の世界は見えない、かもしれないけど、想像してみて、という。  たとえば、事前の準備で、譜面や、音源データのやりとりはできません。た...

猿島の夕べにて

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猿島HPより ------------------------------------------------------------------------------------------------------- 夜へ向かう無人島 ちょうどよさが、心地いい。 五感を満たす、大人のための島時間。 2023年夏、無人島・猿島にまた新しいムーヴメントが舞い降ります。 #猿島Magic ── ひるとよるの間に浮かぶ〝マジックアワー〟 この時間、あなたはどこで、だれと過ごしますか? 海の向こうがわ、西の空一面にひろがる夕暮れ 絶えずささやく波のおと 街とは違う、波打ちぎわのにおい ビーチで見つけたシーグラスのまるみ そして、海を見ながら飲むカクテル ──  太陽の時間から、月の時間へ。 https://yokosuka-portal.jp/sarushima-magic/ -------------------------------------------------------------------------------------------------------  かけがいのない夏をいただいたことに感謝します。  東京湾唯一の無人島、猿島にて、夏の夕暮れ時に新しい企画がはじまる。そのステージへのお誘いをいただいたとき、正直、いや自分じゃないだろう、と感じていた。  勤務先の顔馴染みのご縁で恵まれたお話とは言え、丁重にお断りしようとした。 なぜなら、海辺はキャラに合わないのと、この企画のPRライター(上記)がとてもお洒落な大人向けであって、アンダーグラウンドの伏流を生きてきた自分にとって、すこしキラキラしすぎていると思った。  しかしリミットが迫るなか演者探しに困らせて申し訳ないという気持ちも、また顔馴染みであるがゆえであり、サポートメンバーとともに選曲を一任いただければ、そして弾き語りメインでよければ、ぜひ、と謝意をお示しした。  共演者は、数少ない音楽仲間から熟慮したが結果からみれば彼らしかいなかった。期間もないし、海辺だし、過酷な暑さだし、というか無人島だし。  一人はサックスの松戸さん。ジャズでもクラシックでもなく、テクニカルでもセンシティヴでもなく、街中の平和行進で吹きながら歩いていたその音色に、なにか胸に突き刺さるものを感じていた。  そしても...

Happy Beech Day ~ブナと祝う日~ 

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 雨の合間の春がひととき。文字通りの「祝日」となった、春分の日。   Happy Beech Day   ~ブナと祝う日~。 ぼくらの門出を祝う日 をそう呼ぼうと言って、 音楽ユニットのごきげんな旅人さんがパラゴン・カフェにて企画してくれた祝宴。終生忘れない1ページがまた。 ※ Beechは、ブナの木。ブナの木言葉は「 生まれいずる喜び 」「繁栄」、花言葉は「独立」「勇気」。 かつては木ではないとまで卑下されたブナは、実は多くの恵みを含み、豊饒の森を作る母のような存在 。  出会った日が大雨だったし、大事なときは概ね雨だったから、当日も雨が降ってもいいように、「雨やどり」 (さだ まさし作)をゲストの美有さんに歌っていただくと、昼前まで降っていた雨は、午後にはあがり、春の日差しが、一次会のパラゴンカフェから二次会の我が家まで、一キロ弱お散歩して移動するぼくたちに降り注いでいた。我が家に戻ったときには、すでにリビングからウッドデッキまで入り切らない方々が主不在の家に待っていてくださり、夜更けまでホームパーティ、もといガーデンフェスとなってしまった。(ご近所に挨拶に行っておいてよかった)   そもそも事前の 企画段階で、雨天、という想像はやめよう、となったものの、最近の 空模様を振り返ると、つくづく貴重な晴れ間に恵まれたと思う。 今、考えても、ひとまず、ほんとよかった。  そして祝宴を通して、あらためて、伴侶がこれまで 世界最高のメンツに囲まれてきたこと、燦然と輝く神輿の上に担がれて自分のところに来てくれたこと、に感謝して。  同時にそれは、自分がこれまでに出会い関わり、導いてくれたすべての人々への感謝でもあって。  これについては、伴侶が『門出』について語った次の言葉に要約される。 「結婚は門出じゃなくて、普通の暮らしの延長とか、ちょっと寄り道して本線に戻るくらいのもの、でも戻るとき1人じゃないってもの 」 カッカ作『 ToMoshiru 』  列席の皆さま、 スタジオ◎きのこの皆さま、 パラゴンカフェ、カッカと美有さん、ヤスカドさん、SORaさん、なつみさん、ちひろさん、Cafe Te Peuさん、そしてごきげんな旅人さん、喜びに満ちた春の一日をありがとうございました。    最後に伴侶が「いつかお互いの人生が終わるとき、ああ、もう、あっ...

朝焼けの空に

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   深く、深く、心呼吸をする。暗闇の中で。  最高の緊張感に、押しつぶされて。無言になっている背中を見ている。  そんな自分との対話を楽しんでいたこと。主人公に寄り添うように、すり減った日々を過ごしたこと。今回も自己を解体するチャンスをいただいたこと。 ありがたかったと思う。  制 作&共演のスタッフ、ご来場の皆様に深く感謝したい。  Y劇場公演『朝焼けの空に』  本作は、実際の事件をモチーフに、芸術の価値を真正面から社会に問いかける渾身の脚本だった。その 台本 に「曲をつけて、それから、背景に物悲しいギターを乗せて」との命題を前にして、ほどなくしてコロナに罹患し、咳き込みながらモンモンと試行錯誤したのち、結局、シンプルに楽器の生の響きそのものに立ち戻って、やっと稽古に復帰したのは公演一か月前。     潰せ ゴキブリ   それがなんだって言うのよ  ワタシ    とことん    悪くない  稽古ではじめて歌った瞬間から(自分も含めて)誰も笑い吹き出さないで歌い終えたことのなかったこれを、奇跡の本番で、ついに厳格に歌い終えて!  それでもなお。   心の隙間から満たされない何者かが、何度も出たり入ったりする夜は続く。  彼女がバス停で待っていたものはなんだろうか。  その答えを、脚本家は明らかにしない。 (ただ、ゴド (GOD) 待ちというヒントはくれた)  眠らない停留所も、いつか朝焼けに染まる。  行き場のない街に、  始発バスのブレーキ音が鳴る。  そして、エピローグ。ゴド 待ちの、一番好きな場面。   「来ないなあ」 「うん 来ないなあ」 「来るさ きっと」 「そうだね きっと来る」 「もし来なかったら?」 「ちょっと脅かさないでよ」 「そしたら、あれさぁ!……立ち上がるのさ」 「立ち上がってどうするのさ」 「そりぁ、歩き出すのさ」    今もバス停に座って、朝焼けの空に、夢を見ている日本人がいる。  まだまだ、眠れるわけはない。 「歩き出す。いいねえ」  楽しみはこれからだ。

見届けの妻

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  会って間もないその人の忘れ物がお弁当(玄米おにぎり三個とゆで卵)だと分かりなぜか自分が食べることになったり、忘れ物を探しにいったサンバー車のエンジンが突然とまりレッカーに運ばれたり、 同じ日に同じ人に二度会うことになった5月のある日  彼女が我が家で茹でたブロッコリーから、緑色のあたたかい 蒸気が 広がる。キッチンから食器棚、棚と 壁の間をまわって、部屋々々の四隅まで、通し柱をきしませ、家全体が 深呼吸をはじめる。五 年ぶりの炊事のかほり。 うわぁーっ、としか言いようのない情感が思わず のまま涙腺に蒸留され。  その靄の向こうに、  見えなかった顔が見えた。  自分が人生が終わるときに傍で見送っている人の姿が、はっきりと。  あ、きみだったのか。    数日して 「どうか見届けてほしいんです」  そう申し出て、スーパーフライングスタートというか、もはや逆走、というか、なにもかもすっと飛ばして、結論から分かっていて、ただ、我々にだけ分かる自然な風がそこへ向かって吹いていて。そんな流れに身をゆだねて。役所に赴く。  彼女はしれーっと「見届けの妻」と届け出る。そういう言葉の神様に愛された天賦のセンスが彼女にはある。  お役人に、漢字間違えてますね、とあっさり「未届けの妻」に修正されても…… ----------------------------------------------------------------------------------------------  顔が見えなかった。  その日、呼んでも目覚めなくなったブナを抱いて、玄関を開ける。 「外の世界だよ。これからお前が自由に飛び回る世界では、いつでもそばにいれる」  そして一緒に空を見上げる、誰か。  その人は見えなかったけど。  顔が見えなかった。  物心ついてから考えることすら恐れていた、母の人生の末日。 「心配ないから」と嗚咽する自分の傍らで静かに頷いている。 「心配ないわね」と、開かなくなった瞼を、もう一度心の中で閉じて、 ほっとした 母の脳裏になお映っている、誰か。  その人は、見えなかったけれど。  その夜、夢を見た。  世界の終わりを告げる流れ星が、地表に降り注ぎ。  地獄門が開く光線の中で、離れたくない、と思うのは誰か。  強く握りしめた手の先をたどり。  その人の顔が見える。 ...

満天一座物語

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  流星のごとく。  日本中、のみならず世界中の小劇団の舞台がそうであるように、 この一座をもって、 すべて跡形もなく消えていく。  ある一瞬のために、 人生のなにものかを賭して駆け抜ける姿に。  感銘を覚えました。  その星屑の末端に今回、偶然にも居合わせていた幸運に感謝します。  終生大事にするシーンだと思います。  制作スタッフ、共演者皆様、お立合いいただいた方々、ありがとうございました。    脚本家というのか、 演出家というのか、 よく分からないが、  ゲネプロになって、  そこ、泣ける?  泣いてみて!といわれ 個人的には、 この場面で、リアルな人間は、露骨な感情を表すものか?と首を傾げながら、 心の中でやるだけやってみます、 と答えてやり過ごしていた。 (ある時期に、もう涙は涸れ果てたことは分かっていた)  ただ、なるほど気づいたことがある。 喜怒哀楽、の表現のうち 「哀」がもっとも、自分に近しい感情であること。 なんとなく、どう感じればいいかを想像できる。  一方で、 怒って、と言われたときが、目を丸くして分からない。 自分が怒ったとき、どうなっちゃうんだろうか、 よく分からない。  感情って、おっかねーなぁ。おい。  それに世 界で最も有名なSONGのひとつ。Yesterday。  これを簡単に、歌って、というけど、 たぶん、脚本家は音楽家じゃないから(またビートルズの怖さも知らないから)そんなことを考えるんだろう、 と口にしたら、自分もなんも知らない癖に叱られてしまうが。  以前であれば決して歌わなかった。 おっかなくて避けて通っていた。  自分が歌う理由がなければ歌ってはいけないSONGのひとつ。  今、歌わなければいけない理由がある男が一人おり、彼が 全身全霊でやるだけです、と腹をくくれたのは、 ステージで、そこに立っているのは、オレではない、誰か、だったからだろう。  もう本番はなにが起ころうとオレぁ知らん。  はじまってしまえば、こっちのもの。  そして当日、 リハでは食べるふりだった握り飯を、 本番ではリアルに、食べて、と言われて、 まじかよ、と思いながら、 (飯にありつけていないキャラ設定につき、前の晩から絶食していたので) 口にむさぼり含んで 、そしてすぐに歌い始める。  米粒を口の中でより分けながら、 弾き語る。  いるものと、 ...

「測候所」をつくった人たち

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  不可思議な出来事の少なくない昨今だと思う。  ここ数年、表現の場で交友の深い前衛劇団の演出・脚本家(ご自身は前衛ではないと言うが)から、芝居『満天一座物語』出演へのオファーをいただいた。  はじめてご挨拶したときから、まだ何も表現する前にもかかわらず、存在としての リスペクトを感じさせてくれる人だった。  それゆえに本件も、この方、過大な期待してないかしら、との不安に出口を見いだせないまま、半分、断る理由を探すために、ひとまずパラゴンカフェでお茶でもしませんか、とお答えしていた。  冬らしく、冷たい雨の打ち付ける日曜日。 「やっかいなことになったね」  薪を焚べるマスターの、コロナ禍以降の口癖で、その日も同様につぶやいていた。  お店に入った脚本家の方も、ええ、まったく困ったものです、と顔を上げず相槌を打ってから、ほどなくしてカウンター脇に貼ってある「石内都写真展」のちらしに目をとめる。 「これはこれは!めずらしいものが貼ってある」と、突然、役者の声にスイッチを入れて立ち上がり壁ににじり寄る。その様子にマスターもいつになく驚いて、 「これを知ってる世代? お客さん?」と語りかける。 「知ってるもなにも、これ、ここに写ってます、ぼくです、なつかしい」  と写真中央より左部、ネクストヒッピー世代らしくギラギラした容貌の青年を指差す。言われても毛髪がフサフサすぎて自分はピンとこなかったが。 「え~! あぁ、え! Tくん?」  まさか、あの古ぼけた一枚に写っていたとは。 石内都さんや田中泯さんを招聘した 伝説の前衛サロン「測候所」を作った若人たち。一人は写真家として。一人は劇作家として。ご 両名に、同じ時代の同じ空気を感じてはいた。まだ横須賀に ネオンの火傷跡と、 アングラの混沌とが乱気流渦巻いていた頃(と想像している)。会ってほしいとも思っていた。しかしそれが「再会」を意味しているとは思わなかった。今日、偶然に、40年の氷が解ける。    末端 の見えないほど、長く 埃にまみれていた 導火線を手繰り寄せていた。 それと知らずに。  ところで今日の本題は、改めての芝居へのオファーである。  少なからず、この再会の波紋が作用したのかもしれない。同じ うねりの中にあるのだとしたら、なにも気張って抗う理由もない。喋るのが苦手とか、いい大人が人様の前でとか、できるとかできないと...