風が見える人
仕事時間に津久井浜海岸を訪れる。この浜辺の伝説の風使い、香村さん(JPN57)の二日間に渡る、アツい勧誘に心が揺れて、人生ではじめてのウィンドサーフィンへ。
ちょうどその日、予約にキャンセルが出たとのこと。今日は絶好の、ビギナーズ日和、ミウラさん向きの風ですよ、という。香村さんは風が見える人。自分は、アハハぁ、とあいまいな笑いを浮かべながら、10日前、3日連続でサッカーした(部活か!)結果、ミートグッバイ※してからなかなか戻ってこれず、治りの遅さに歳による焦りを感じていた。
※ミートグッバイ=肉離れ
「ミウラさん、今日の担当のインストラクター知ってます?」
「さぁ、でも優しい人ならだれでも」
「須長です」
「やります!」
ウィンドサーフィン日本代表、須長由季選手。ロンドン五輪のオリンピアンであり、本市唯一の東京オリンピック内定選手。
小学生時分にかるく溺れて以来、海に入るも躊躇ってきた自分が、指導を受けるにはあまりに恐れ入る。それでも今日ばかりは一生に二度とはない機会だと思い、履いてきたズボンのまま海へ歩み入る。
何十年もジョギングで横目に眺めていた地元の海。
パンツが濡れる、アカモが足に触れる、それだけで新鮮だった。
いきなりドボーンと落下して、ああ、こんなにしょっぱかったっけ、と喉が渇く。ヒリヒリ。食道がやける。
はじめの三〇分、ただただ落下し続ける。乗っても乗っても、ただ落下するだけの自分に、須長さんは忍耐強い。
「あの、陸の上ではないので。水の上では、踏ん張ってもだめです」
そうこうして、這い上がり続けたある時、またしても威勢よく落下した自らを、バサーっと音を立てて追いかけてきたマストが、テンプルに「いい感じ!」で入る。一瞬、くらっと視界が薄くなって、あっ、と思って、たぶん切れたかな、と覚悟したが、出血はない。
「大丈夫ですか?」
「はい!まだやれます」
懲りずに乗ってみる。まだちょっと、頭は定かではないのに、どうしてか、今度は落ちる気がしない。
「あれ、さっきまでと自分、なにか違います?」
「いえ、同じですよ。ただ、落ちるなら前に落ちるつもりで」
力が抜けたせいか、実際に重心が前に移ったのか。わからないが、とにかく、なにか余計なものが抜けたらしい。
一度立てるようになると、漕がなくても風が背中を押してくれることがうれしい。微風でも心地いい。そよ風くらいが自分には心地いい。
後半には「方向転換までできたので、これで一人で帰ってこれますね」と優しい学生さんも声をかけてくれる。ありがとう、前半、苦労した分、これから!感はあるけど、今日はこのくらいにしときます。実は、沖へ出る勇気がかけらもない。
須長さんが見せてくれた姿勢は、美しかった。一瞬で、美しかった。
そのフォルムは、体幹はもちろんのこと、彼女の佇まいから描かれる。なんかニュートラル(自然)な感じが、とっても。求道者だなぁって。道を持っている人。うかがうと、自分と同い歳。そして現役のアスリート。年月を重ねるごとにそのすごさが分かる。たとえ孤独な道だとしても。遠くを見ている人の姿は、それだけで誰かの励みになる。
その夜、コロナ後、初のライヴを戸塚で歌う。喉がヒリヒリするが、やはりそれ以上にブランクの間にかなり身体のバランスが崩れている。今日からまた体幹鍛錬だなあと思う。
帰りに馬堀海岸へ寄り、ゆっくりオーナーが弾いてくれたショパン(「ノクターン」というオリジナルブレンドコーヒーを淹れてくれると同時にピアノ演奏してくれる世界初企画!)で心を休め、帰宅後、眠ろうとすると、鼻の奥に、いつまでも、しょっぱい晩夏がある。眩しい砂浜に、幾度も、波の声がする。
風の道を見つけたら、沖へ駆けてゆくといい、と。
海のふところに、抱かれたらいい、と。
そういう歌をうたったらいい、と。
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なぜか自分がインストラクトしてるみたいになってる図 「そう! 基本の姿勢が大事です!」って |
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