さんぽみち


 ランニングではなくて、ウォーキングをしている。ニュースではなく、ロバート秋山の動画を見ている。音楽はちょっとだけアイリッシュ。
よく笑い、よく泣く。一ミリでも免疫力を上向きの方向へ。すべての行動を、その一点に集中している。おかげさまで体調は、回復の一途を辿っている。





 さんぽみち。
 あえて子供のころ通った懐かしい小道を選ぶ。途中のパラゴンカフェもそのひとつ。もっとも小学生当時は、謎めいた館の外観から、立ち入れない恐怖スポットのひとつだったが。10年とちょっと前、職場にいた方と「不思議な外観の館」について、お墓の隣にすごいエキゾチックなやつがあるんですよ、と他愛もない雑談をしていたとき、「ソレ、うちのジッカです、ジッカ」と言われ、「よかったら遊びにいってごらんなさい、弟夫婦が住んでるから」との勝手な誘いをきっかけに通い始めた。その当時から変わらないカレーの味とともに、緊急事態時でも変わらない空気の流れがここにはある気がする。3.11原発ショックのときもここに来た気がする。世間には出られないような悪いことをしてしまったとしても、ここには隠れに来る気がする。

 ストロベリーのミックスジュースをいただく。テイクアウトのカレーを縁側に置いてもらう。お金のやりとりしたくないので振り込むよ、というと、ツケでいいよ、と。


ある夏のパラゴン


「体調、気をつけて」
「ええ、みなさまも」










 里山から降りて、海まで。









 海岸沿いの遊歩道。
 突然に、これまで一度も思い出したことのなかった風景が目の前に浮かび上がる。
 そう。
 たしかここで。
 父に会ったことがあった。
 なぜいままで忘れていたんだろう。
 そのときのことがまるでそこにあるかのように。今はっきりと。克明に。

「やぁ」
「やぁ」
「散歩中?」
「あぁ」
「散歩中?」
「あぁ」


 頸椎コルセットの上で、海を細く眺める、闘病中の父の眼差し。その前でプラチナの前髪が潮風に靡く。その一本一本さえ、今はっきりと思い描くことができる。今日と同じような、南西の弱風な日。

 そのとき父が既に死期を悟っていたかどうかは分からない。
 ただ、自足で歩いて海辺まで来ることができた最後の時期だったとは思う。


  海よ
  あのとき、あの人がなにを想いながら
  歩いていたのか
  教えてほしい

  海よ
  ただのひとつの弱音も洩らさずに闘かっていたあの人が
  あなたにだけ語ったことがあったなら
  教えてほしい

  海よ
 

  
 いままで当たり前に会えていた人と会えなくなる世の中で。
 もう会えない人に、とくに会いたくなる。

 会いたいなあ。

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