グレートミラクルジャーニー
いよいよ臨月を迎えたベイビーの安産祈願に、キャサリンがメヘンディアートを描きに来てくれた。
「としる」という胎内宇宙の海で。十月十日(とつきとおか)のグレートミラクルジャーニー。
ヘナの香りに寄せられてか、ブナもおなかに顔を乗せて、胎内の宇宙を覗き込んでいる。
ブナのこと。
一年前、確定診断名は「悪性リンパ腫」、抗がん剤治療を受けて余命一年。措置をしなければ持って三か月。早くて一か月と告げられた。治るものではなく、いかに長く命を繋ぎとめるか。
冷静に飼い主ファミリーに現状を伝達する、その獣医の落ち着いた起伏のない声のトーンは、今も忘れない。いい意味で、人間性のある、信頼のおける獣医だった。しかしそれは、むしろだからこそ、それは静かに、ぼくらを絶望の谷底に突き落とした。
真空状態になった自分は、日常生活を抗がん剤治療モードに全振りする決意を固めることで、思考を停止していた。できることはすべて行う。後悔をしないために。一日でも長く一緒にいるために。
しかし、伴侶の視点は違うところにあった。
人間の判断で、抗がん剤という劇薬をブナに入れていいのか。体を痛めつける毒薬を投与してまで、求めている時間とはなにか。「一日でも長く一緒にいたい」、それは飼い主のエゴではないか。
もう一度、聞いてみよう、ブナに。
これから先、どういう風に過ごしたいか。目を見て、尋ねてみよう。
言葉ではなく全身で、ふれあいながら…
それでも答えが出せないまま、半月が過ぎ、世界中の事例を検索していた折、長野に住む元ペット業界薬剤師のページが目にとまり、おや、この人、と思った。
まさに、すがるような心境。すがれるなら、神でも、悪魔でもなんでもいいから。
今、振り返ると、ほんとにこの先生の言葉ひとつひとつに救われたんだと思う。命にとってなにが幸せか、自分たちの進むべき方向性に、明るく力強い道標を示していただいた。覆いつくす曇天に、一筋の光が差した気がした。
「愛猫の前で、泣いてはいけません。
できるだけ努めて明るく過ごしてください。
一秒一秒、これまでと同様、これまでよりもっとたくさん、愛してください。
一緒に食事をしてください。
そして、同じ食卓で、同じものを食べてください。
もちろん、親御さんたちも、一緒に身体にいいものを食べてください。
これまで食べてきたもので、今の体ができています。
これらのことで、免疫力をあげていれば、きっと、ガン細胞は寄り付かないでどこかへ行ってくれます。
そもそも、検体検査だって、100%正しいわけじゃありません。ぼくは結構、疑っているんです。事実は違うところにあるんじゃないかって。
信じてあげてください。
親御さんが不安がって、元気なくしてどうするんですか。
飼い主が誰よりも信じて、明るく過ごしてください。
いい声になりましたね。
今、親御さんとブナちゃんの声を聴いていると、大丈夫。
きっとブナちゃんは元気になります。そんな気がしますよ」
ご自身曰く、自分を「変人」というとおり、ちょっとおかしな人だった。なんで利益にもならない電話相談を無料で受けてくれるのだろう。一応は、犬猫用のサプリメントも取り扱っているのに、それのことは一切触れず、ただただ、真理に近い言葉で、ぼくらの不安を解きほぐしてくれたりして。
そして、我が家は食べるものから見直した。もともと人間の食事には気をつけていたが、ブナの食事もなるべく自炊にこだわった上で、ドライフードも一緒に食べれる安全なものに変更した。そして、これまで以上に触れるようにした。「手当」という言葉の文字どおり、手の力を信じた。しつこいくらい、何度も、むやみに、抱っこしては、あたため続けた。
あれから一年が経過してやっと、ここに記すことができる。
今もブナは、我が家のシンボルであり続けている。一年前よりも体重も増え。どっしりと、神秘的な碧い眼差しを蓄えている。西方の守護神「白虎」の瞳。
それは例えば、一目見れば、悩みや不安も立ちどころにふんわりと消し去ってくれる。
まあ、いいっか、と。
世界中が平和になる日が来ることを想像させてくれる。
ブナ、おまえさんに、会ってほしい命がある。その命もまた、奇跡に見守れた存在である。
誰が書いたシナリオか、知らないが。
そんな、紙一重の希みを手繰りよせて。
この一瞬に。
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