つ麦

 およそ三十年ぶりだろうか。別所インターを降りてすぐ横浜横須賀道路をまたがり、病院の駐車場に入るルートを運転しながら、車窓から見える景色に、ある感慨を覚えていた。エントランスをくぐるのは、神奈川県立こども医療センター。いくつかの転院を経て、ここに還ってきた。三十年前には、母に連れられて。今は、伴侶と、おなかの子どもを連れて。



 ここは、自分にとっての第二の人生がはじまった場所だった。中学生当時、若年性糖尿病(IDDM)という難病指定の診断を受けて、いつまで健康体で生きられるかは、すべてきみの心がけ次第と覚悟を求められた。きみ次第で。ただちに命を失う病ではないけれど。光を失ったり、歩けなくなる。きみ次第で、不幸せにもなれば、幸せにもなれる。未来をつくるのは、君次第、との洗礼教育を受けた。

 そしてとにかくも、まずは、一日足りとも欠かさずインスリン注射を続ける人生がはじまった。同時に、健康であることが当たり前ではない、同世代、あるいは自分よりさらに若年の入院生活を見て、子どもながらに、小さな小さな開眼を施された場所だった。
 そして、看護婦さん(当時呼称)たちの優しかったこと。

 今、(元)看護士の伴侶とともに、この病院を再訪して、県下はもとより、関東一円でも有数の新生児に対する医療サポート体制に触れて、あらためて全幅の信頼を寄せている。


 胎児に問題が見つかって、他院では遺伝子診療科カウンセリングを勧められ、相談者が厳しい決断を下しても、できるだけ罪の意識に苛まれないよう、優しい口調で語りかけてくれた。そこでの染色体異常だとか、21トリソミーだとか、確率とか、難しい話はぼくらには概念ほどの意味しかなかった。
 分かっていることは、ちいさなちいさな命が、妻のおなかのなかで鼓動して、居る、ということ。
 そして、
諸々の話を聞いても、気持ちに一ミリの迷いも生じない伴侶の隣で、自分も安心して、何にも代え難い「おめでた」い幸福感を噛みしめているということ。


 人一倍、食べるものに気を遣って、人一倍、いろんな子どもたちと触れ合ってきた伴侶である。
 選ばれたんだ、としたら、宇宙のどこかで、ぼくらを選んでくれたのだとしたら。

 こんなに嬉しいことはない。

 おめでとう。

 今日、検査入院の結果や、3Dエコー写真等で、かなり明るい兆しが見えてきている。
 この子は、きっと、たくましい子になる。なにかユニークな因子は持ち合わすかもしれない。それは、ぼくらの子だから、当たり前のことと思う。見えるものであれ、見えないものであれ、誰しもそうなのだから。


 あそこで知り合った仲間たちは、元気にしてるかなあ。

 なあ。周作くん。

 元気にしてくれよ。13歳。

 毎日、病院の体育館でリフティングしてたっけなあ。

 ヘッタくそだったなあ。

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 糸、つむぐ手をとめ
 季節を つむぎあわせ
 聴こえてくる
 きみの歌

 ヴェランダの隅のひだまりに
 風ぬらすシャツの間に
 胸のひまわりの花模様に
 響き渡る

 同じ歌が、ほら
 きみが目覚める前の
 青い空にも

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 名前は、「つ麦」という。
 
「三浦 つ麦(みうら つむぎ)」

 たくましい名前だ。

 麦のように、たくましく。なんだかハダシで走り出しそうだ





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