満天一座物語

流星のごとく。 日本中、のみならず世界中の小劇団の舞台がそうであるように、 この一座をもって、 すべて跡形もなく消えていく。 ある一瞬のために、 人生のなにものかを賭して駆け抜ける姿に。 感銘を覚えました。 その星屑の末端に今回、偶然にも居合わせていた幸運に感謝します。 終生大事にするシーンだと思います。 制作スタッフ、共演者皆様、お立合いいただいた方々、ありがとうございました。 脚本家というのか、 演出家というのか、 よく分からないが、 ゲネプロになって、 そこ、泣ける? 泣いてみて!といわれ 個人的には、 この場面で、リアルな人間は、露骨な感情を表すものか?と首を傾げながら、 心の中でやるだけやってみます、 と答えてやり過ごしていた。 (ある時期に、もう涙は涸れ果てたことは分かっていた) ただ、なるほど気づいたことがある。 喜怒哀楽、の表現のうち 「哀」がもっとも、自分に近しい感情であること。 なんとなく、どう感じればいいかを想像できる。 一方で、 怒って、と言われたときが、目を丸くして分からない。 自分が怒ったとき、どうなっちゃうんだろうか、 よく分からない。 感情って、おっかねーなぁ。おい。 それに世 界で最も有名なSONGのひとつ。Yesterday。 これを簡単に、歌って、というけど、 たぶん、脚本家は音楽家じゃないから(またビートルズの怖さも知らないから)そんなことを考えるんだろう、 と口にしたら、自分もなんも知らない癖に叱られてしまうが。 以前であれば決して歌わなかった。 おっかなくて避けて通っていた。 自分が歌う理由がなければ歌ってはいけないSONGのひとつ。 今、歌わなければいけない理由がある男が一人おり、彼が 全身全霊でやるだけです、と腹をくくれたのは、 ステージで、そこに立っているのは、オレではない、誰か、だったからだろう。 もう本番はなにが起ころうとオレぁ知らん。 はじまってしまえば、こっちのもの。 そして当日、 リハでは食べるふりだった握り飯を、 本番ではリアルに、食べて、と言われて、 まじかよ、と思いながら、 (飯にありつけていないキャラ設定につき、前の晩から絶食していたので) 口にむさぼり含んで 、そしてすぐに歌い始める。 米粒を口の中でより分けながら、 弾き語る。 いるものと、 ...