「測候所」をつくった人たち

 不可思議な出来事の少なくない昨今だと思う。
 ここ数年、表現の場で交友の深い前衛劇団の演出・脚本家(ご自身は前衛ではないと言うが)から、芝居『満天一座物語』出演へのオファーをいただいた。
 はじめてご挨拶したときから、まだ何も表現する前にもかかわらず、存在としてのリスペクトを感じさせてくれる人だった。

 それゆえに本件も、この方、過大な期待してないかしら、との不安に出口を見いだせないまま、半分、断る理由を探すために、ひとまずパラゴンカフェでお茶でもしませんか、とお答えしていた。



 冬らしく、冷たい雨の打ち付ける日曜日。
「やっかいなことになったね」
 薪を焚べるマスターの、コロナ禍以降の口癖で、その日も同様につぶやいていた。





 お店に入った脚本家の方も、ええ、まったく困ったものです、と顔を上げず相槌を打ってから、ほどなくしてカウンター脇に貼ってある「石内都写真展」のちらしに目をとめる。「これはこれは!めずらしいものが貼ってある」と、突然、役者の声にスイッチを入れて立ち上がり壁ににじり寄る。その様子にマスターもいつになく驚いて、「これを知ってる世代? お客さん?」と語りかける。

「知ってるもなにも、これ、ここに写ってます、ぼくです、なつかしい」





 と写真中央より左部、ネクストヒッピー世代らしくギラギラした容貌の青年を指差す。言われても毛髪がフサフサすぎて自分はピンとこなかったが。

「え~! あぁ、え! Tくん?」


 まさか、あの古ぼけた一枚に写っていたとは。
石内都さんや田中泯さんを招聘した伝説の前衛サロン「測候所」を作った若人たち。一人は写真家として。一人は劇作家として。ご両名に、同じ時代の同じ空気を感じてはいた。まだ横須賀にネオンの火傷跡と、アングラの混沌とが乱気流渦巻いていた頃(と想像している)。会ってほしいとも思っていた。しかしそれが「再会」を意味しているとは思わなかった。今日、偶然に、40年の氷が解ける。

 

 末端の見えないほど、長く埃にまみれていた導火線を手繰り寄せていた。それと知らずに。

 ところで今日の本題は、改めての芝居へのオファーである。
 少なからず、この再会の波紋が作用したのかもしれない。同じ
うねりの中にあるのだとしたら、なにも気張って抗う理由もない。喋るのが苦手とか、いい大人が人様の前でとか、できるとかできないとかはどうでもいい、そんなことは。


 自分ではない自分に出会える機会をいただけるなら、すべて忘れて。
 一切、自我を捨て去って。身を任せてみる。流れに。


 ダメだったら、途中退部もありですよね、と伺ったら、それは穴が開いちゃうから勘弁して、と言われた。けど、無理だったら、知らんけど。



 後日、お二方に、おもしろいもんですね、と話を振ると、相互から同じような感想があった。
 彼も彼なりに、40年、闘ってきたんだな、と。
 なにかにプロテスト(抵抗)して。
 別々なところで、それぞれ、闘ってきた。


 せめて、古い友人に会うときに、無言のうちにそう感じあえること。
 自分のなかのなにかと、闘ってきた。
 命題をいただいた

 ぼくらも「時には昔の話を」できるように。





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