海辺の本屋

 眠れない夜。手垢にまみれたシミだらけの文庫本を枕元に置く。
『小川未明短編童話集』。
 もう何年も本を読んでいない気がする。
 学生のころに海岸通りから一本入ったところの、古本屋で購入した記憶がある。
 童話は未明さんらしい美しい世界だが、それ以上にこれを手放せなかった理由には、表紙の裏に青いインクで書かれていた、以前の持ち主の、いかにも青春らしいロンリネスがとてもかけがいのないものに思えたからだった。

  こんなことが孤独といえるだろうか?   人生に甘えているだけかもしれないのに   でも こんなに優しく悲しいものに   感動できるということは  (泪があふれるということは)   やはり 孤独なのかも知れない(原文ママ)

 この刻の砂に埋もれた1ページを今、20年ぶりに見て、昔のように共感できる自分はいなくなっていたことに気づいたが、むしろ余計に愛おしく、繰り返し繰り返し見る。
 表現がどうこうではなく、ただなんとなく、感じていた。そばに感じていた。この人に会いたかったな、と思っていた。海を散歩する度、探していた。

 なにも見つからないまま。
 自分も海岸線もずいぶん、けずれて痩せた。

 野比海岸の、潮臭い、その古本屋もなくなって久しい。
(小学生のころ、父に連れられて、あの本屋の開き戸をくぐると、潮の香りが一変して、噎せ返らんばかりのホンダニ臭に息が詰まって、ぼくが見るのはマンガの棚で、父が見るのは、文庫の棚で、真ん中には、エロティックな写真たちの棚が仕切りになって並んでいた。こどもたちはマンガを探しながらも、いつも背後にエクスタシー幽霊みたいな白い恐怖を感じていて、「振り向いちゃいけない、振り向いちゃらいけない、振り向いちゃら、もう帰って来れないぞ」と小突き合っていた。)

 青い字は、ていねいでしとやかな、筆跡だった。  気持ちが躓いても、前のめっても、そんな人の、ほんとうの言葉だったんだろうと思う。

 本を読もう。
 詩を読もうと思う。



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